Stuart McDonald

Stuart McDonald bass
 ウェールズ中部のプレスティン出身。ギタリストMick Clarkeとブルース・ロック・バンドKilling Floorなどで活動した左利きのベーシスト。FreeのPaul Rodgersと短命グループPeaceを組んだことでも知られる。

 ウェールズ中部のラドナーシャーで15歳の時、後にFreeBad Companyで成功を収めるドラマーのSimon Kirkeらと学生バンドThe Maniacsを結成し演奏活動を開始する。まもなくブルース・ロックに魅了され方向転換。その後Kirkeとともにロンドンに進出。KirkeはまもなくBlack Cat Bonesに加入している。1968年、メロディ・メーカーのメンバー募集広告を通してMick ClarkeとBill Thorndycraftと合流。Killing Floorを結成する。

 1969年にはFreddie Kingの英国ツアーのバックバンドとしても活躍し、セルフ・タイトルのデビュー・アルバムをリリースする。しかし、Kingとのツアーの後、ピアニストのLou Martinとともに離脱し、アメリカ人名司会者Emperor RoskoことMichael Pasternakの弟Jeff PasternakのバンドCrayon Angelsの結成に参加した。

 1970年には復帰してハード・ロック志向を強めたセカンド・アルバム「Out Of Uranus 」を制作する。精力的なギグにかかわらずリリースした2作とも売り上げは伸びず、両作はいずれもレア度の高いコレクター・アイテムとなっている。

 1971年秋には、Freeの解散を受けて、フラットをシェアしていたシンガーのPaul Rodgers、元QuatermassのドラマーMick Underwoodと新グループPeaceを結成。しかし、ドラッグに溺れるギターのPaul Kossoff救済のためにRodgersとAndy FraserがFree再編を決意したこともあって活動は短期間に終わった。

 その後は再びClarkeと再び行動をともにし、後期Daddy Loglegsを経て1974年にはClarkeやブルース・ハープの名手Stevie SmithらとSALTを結成。1977年にはレディング・フェスにも出演、マーキーのレギュラーとして活躍したほか1978年にはEP1枚を残した。同年にはKilling Floor時代の仲間Lou Martin、Rod De’Athと合流し、グループはRamrodへと発展するが、ニューウェーブの台頭もあって商業的な成功を収められず、翌年には解散している。

 その後故郷に戻りローカル・バンドなどで音楽活動を続けていたが、2000年代に入ってオリジナル・メンバーでKilling Floorを再編。新作アルバムを制作したほかライブ活動など精力的に活動した。


【参加アルバム】
<group>
・Killing Floor
Killing Floor (Spark SRLP102) 1969
Out Of Uranus (Penny Farthing PELS511) 1970
Zero Tolerance (Appaloosa AP144) 2004 ※再結成
Rock’n’ Roll Gone Mad (Rockfold RF012) 2012/5

・Peace
The Free Story/Free (Island ISLD4) 1974/3 ※1曲/未発表曲含む編集盤

・SALT
All Wired Up (Raw RAW18) 1978/5 ※EP
Live – A Week At The Bridge E16/V.A. (Bridge House BHLP001) 1978 
※EP付/2曲収録。78年4月のライブ
The Cobra’s Melodies (Rockfold RF011) 2011/9 ※未発表音源含む編集


【参加グループ】
The Maniacs
Express Blues Band
Killing Floor (1968.5-1969.mid/1970-1971.mid/2002- )
Crayon Angels
Peace (1971.9-12)
Jellybread (1972)
Life (1972) with Barry Paul
Daddy Longlegs (1973-1974)
SALT (1974-1978.3)
Ramrod (1978.3-1979)