Amen Corner

Amen corner 活動期間1966.12-1969.10
 ウェールズのカーディフ出身のポップ・ソウル・バンド。1960年代後半に登場しシングル・ヒットを連発、ローティーン女子の絶大な支持を得て瞬く間に大人気バンドとなった。

 母体となったのはカーディフの人気バンドだったThe Sect ManiacsAndy Fairweather-Lowをフロントマンに据えたバンドで、ギター・ヒーローのMicky Geeも在籍していた。1966年末に同バンドを母体に結成され、3カ月後にはロンドン進出を果たす。スピークイージーなど有名クラブでレギュラーの座を獲得、Deccaとレコーディング契約を結び、67年6月には傘下のDeramからファースト・シングル「Gin House」を発表。このシングルが全英シングルチャートの12位を記録する順風満帆のデビューを飾る。

 快進撃は続き、続くセカンド「The World Of Broken Hearts」は24位、1968年初頭の3枚目のシングル「Bend Me Shape Me」は3位の大ヒットを記録。4作目「High In The Sky」も6位にまで上昇するなど一躍人気バンドとなった。

 当時のマネージメントはDon Ardenによるものだったが、Arden側の経済的な事情から1968年秋には新興のImmediateへと移籍。69年初頭にリリースされた移籍第1弾シングルとなった「(If Paradise Is) Half As Nice」はついにチャート首位を獲得。続く6月にはThe MoveのRoy Woodが書き下ろした「Hello Susie」を発表。本シングルも6位にまで上昇するヒットとなり、衰えることのない人気ぶりを顕示した。

 しかし、この頃にはImmediateの経営難が深刻化。ギャラの支払いが遅れ始めるなど支障を来たし始め、皮肉にも大ヒットを連発する一方で経済的な理由でバンド活動が暗礁に乗り上げる。レーベル側の倒産に巻き込まれる形で69年10月に人気絶頂のまま解散を余儀なくされた。

 解散までの約3年間、7人組の大所帯ながらメンバーチェンジすることなく活動したが、サックス奏者2人は同じくアイドル・バンドとして活躍してきた元The HerdAndy Bownらとプログレッシヴ・バンドJudas Jumpを結成。ブラスセクションを除くAndyら5人はRCAと新たに契約しFair Weatherへと分裂した。メンバーそれぞれプログレッシヴな方向に音楽性へとシフトしており、ルックスの良さなどからアイドル視されていたものの、後の活躍でその実力の高さを証明してみせた。

<albums>
Round Amen Corner (Deram SML1021) 1968/3
The National Welsh Coast Live Explosion Company (Immediate IMSP023) 1969/9
Farewell to the Real Magnificent Seven (Immediate IMSP028) 1969/12

<singles>
Gin House / I Know (Deram DM136) 1967/6
The World Of Broken Hearts / Nema (Deram DM151) 1967/9
Bend Me Shape Me / Satisnek The Job’s Worth (Deram DM172) 1698/1
High In The Sky / Run, Run, Run (Deram DM197) 1968/7
(If Paradise Is) Half As Nice / Hey Hey Girl (Immediate IM073) 1969/1
Hello Susie / Evil Man’s Gonna Win (Immediate IM081) 1969/6
Get Back / Farewell To The Real Magnificent Seven (Immediate IM084) 1969/10

【メンバー変遷】
#1 (1966.12-1969.10)
Andy Fairweather-Low:vo/g
Neil Jones:g
Clive Taylor:b
Dennis Byron:ds
Derek “Blue” Weaver:key
Mike Smith:t-sax
Allan Jones:b-sax