John Dickenson

john dickenson keyboards/vocals
 King Crimson人脈のキーボード奏者。1960年代はキャリア初期のGreg LakeThe ShameShy Limbsで活動。1970年代後半からは自身のスタジオを運営し、エンジニア、プロデューサーとしても活動した。

 1963年、ドーセット・ボーンマスでGreg Lakeらとローカル・バンドUnit Fourを結成。1967年には再びLakeと合流して新バンドThe Shameを結成。同グループでシングル「Don’t Go Away Little Girl」をリリースし、メジャーデビューを果たす。1968年には後進グループShy Limbsを結成し、2枚のサイケ・ポップ調の好シングルを残す。

 いずれもLakの初期キャリアの在籍バンドとして熱心なKing Crimsonファンに知られる短命グループながら、ソングライティングを担当するなどバンドの中心人物として活躍。また、Shy Limbsのデビュー・シングルのB面「Love」にRobert Frippがセッション参加していたことが後年明らかになり話題となった。

 1970年代半ばにはボーンマスから北西にあるサマセット・ブリッジウォーターに自身のレコーディング・スタジオ「ムーブメント」を設立。Shy Limbs時代に一緒にプレイしていたAl Bowery(Alan Barry)やFrippが在籍していたことで知られるボーンマスのローカル・バンドThe League Of Gentlemenの中心人物だったTino LicinioとThe Bournemouthを結成。同スタジオでデモ音源を製作し、EMIとの契約を獲得。バンド名をKing Harryに変え1977年にはアルバム「Divided We Stand」をリリースしている。

 ドラムマシンの製作者としても知られ、同スタジオで「Movement Systems Drum Computer」を開発。同機種は1980年代前半、Thompson TwinsやHot Chocolateなどの人気バンドのアルバムで使われている。King Harryの解散後は自身のスタジオを拠点にプロデューサーやエンジニアとして手腕を発揮、若手バンドのマネージメント業務なども受け持った。


【参加アルバム】
<group>
・King Harry
Divided We Stand (EMI EMC3188) 1977

<produce/engineer>
Young Girls/Contacts (Small Operations SO001) 1980 ※single


【参加グループ】
Unit Four (1963-1964)
The Shame (1967-1968)
Shy Limbs (1968.9-1969)
The Bournemouth (1970s mid)
King Harry (1976-1978)